NKen’s diary

プラチンブリ(タイ)から書きたい事を書いて行きます

2023年を振り返って

 プラチンブリ(タイ)からこんにちは 2023年12月16日記

 今年2023年は色んな事が有った。 2023年が明けて間もない頃、お袋が階段で足を滑らし骨折し入院と言う情報が入った。 1ヶ月程で退院できる事になったが、昨年親父が亡くなり一人暮らしなので、認知症も有りこの状態では一人暮らしは無理なのではと言う情報も入って来た。 病院の人にも相談してもらったら何とかなりそうなので、一旦家に帰る事になったとの事。 自分はタイに居るので妹には凄く面倒を掛ける。 退院するのを待って2月に様子を見に帰った。 確かにしんどそうで、寝てばかりいる。 でも何とかなりそうという事で、後は妹に任せて自分はタイに帰った。

 

 うちの子供達はタイで生まれてタイの学校で育った。 それまで日本にあまり興味を示さなかった長男が、高校で週に1度の日本語の授業が有る様になり、日本語に興味が出てきた様である。 大学は日本の大学に行きたいと言い出した、色々調べたが日本語のレベルが低い(N5レベル)ので受け入れてくれる大学が限られている。 検討した結果地元の大学(自分の高校の頃は、金さえ払えば誰でも行ける学校と思っていた(多分今でもそうかな))が、かろうじて照準に入ることがわかり、そこでも良いと言い受検した。 先生の助けもあり何とか受け入れて貰えた(とても有難い)。 と言う事で、4月の初めに長男を連れて日本に行き入学手続きやら何やら準備して自分はタイに帰った。

 次男の方は生まれつき身体が弱かったが、3歳の頃から背中にこぶの様な物ができ始めた。 近くのシーマハーポート病院に行ったが、こぶが大きくなれば切れば良いだけなので心配なしと言われた。 でもやはり心配なので、知り合いに相談してバンコクの子供病院で診断してもらったところ、神経線維腫症Ⅰ型(neurofibromatosis type1:NF1)であると診断された。 遺伝による場合が多いとの事であるが、自分も家内の親戚にもいない、必ずしも遺伝とは限らない様である。 ネットで記事を読んでみると、思春期にはこぶが大きくなるが、その後収縮する場合がある、死に至るケースは稀であると書かれていた。 治らなくても死ぬことは無いのであれば、とりあえずは安心かなと思っていた。 しかし、2~3年程前から背骨が曲がって来た、2022年にCT検査をして驚いた、 完全に背骨が折れている。

背骨が折れている

 2022年10月に日本に行った時に、地元の病院でどんな治療ができるか聞いてみたところ、だいぶ肺や神経を圧迫しているし、早くつっかえ棒を入れる手術をした方が良いと言われた。 タイに帰ってかみさんにその話をし、子供病院ではらちが明かないので、ラマ病院に行く事にした。 10月から通って予約をしたが、伸ばしに伸ばされ2023年の5月頃に検査という事になった。 それはさておき、次男は今年から高校生である、プログラマーになりたいからコンピューターの学校に行きたいと言うので、入学手続きを進めていた。 5月22日からが新学期だ、5月中頃に入学準備の登校をしたが、背中が痛いと言い出す。 検査の予約もしていたので、残念だけど新学期はあきらめ病院を優先する事にする。 何度か通院したが、病院もなかなか治療方針が決まらない。そうこうしていて、6月に入りバンコクから帰って来たが、とにかく苦しそうである。 息使いも激しくなり、もう限界と判断して6月4日近くのシーマハーポート病院に連れて行く。 その場で気管挿管されて、救急車でチャオプラヤアパイプベート病院へ搬送され、ICU室で人工呼吸となってしまった。 数日して人工呼吸器は外れたが、それも数日でまた人工呼吸器となってしまった。

背骨の曲がりと共に体内にもこぶができて肺を圧迫

 ラマ病院にも転院を拒否されて仕方なく、日本への搬送を考え手配を進める。 ようやく日本の受け入れ先は決まったが、今度は病状がどんどん悪化して行く。 7月13日朝心停止、心臓マッサージで一旦は蘇生したが、7月14日 日付が変わった頃、帰らぬ人となってしまった。 治らぬ病気でも死ぬ事は無いと思っていたのに残念である。 子供は遺体安置室に入れられたので、仕方なく深夜に帰宅、誰の涙か豪雨の中かみさんと自分はそれぞれの車で帰った。

 近所のワットクロンランにてお葬式を執り行う事になった。 色んな人に助けられ、何とか荼毘にふす事ができた。 日曜日の火葬としたので、本当に大勢の人が送って下さった。

火葬場に向かう

タイのお寺ではこんな風な火葬場が併設されている

 日本のお墓にも埋葬したいと思い、分骨した。 日本大使館にて遺骨証明書を発行して貰い、7月末の連休の時に日本に持ち帰った。 お袋はだいぶ元気になって来たので良かったが、親父の遺骨の横に遺骨が並んでしまった。 また、お墓に埋葬するため、日本の役所で改葬許可書を発行してもらった。

 10月の初めに親父の1周忌に合わせて日本に帰った時に、親父と次男と二人分の納骨を済ませた。 年の初めにはまさかこんな事になるとは夢にも思っていなかった。。。

10月8日納骨

 この様な事で、どこかへ出かけたりする気にもなれなかったのではあるけれど、どうしようもない事なので、気分を変えて行きたいと思う。 幸いと言っては何だけど、子供達がいないと食事も自分の分だけ作れば良いし、洗濯も掃除も楽である。 時間ができた分でブログを書いてみたり、旅行に行ったりできたら良いと思う。