NKen’s diary

プラチンブリ(タイ)から書きたい事を書いて行きます

阪神大震災当日

プラチンブリ(タイ)からこんにちは

 

 1月17日は阪神大震災の日だ、先日ニュースでやっていたが、もう29年になるらしい。 地震当日私は神戸市長田区の自宅で寝ていた。 (自宅は長田区でも山沿いの方なので被害は比較的少ない地域であった。) さすがに29年も経って記憶も薄れて来ているが、当時の事を思い起こしてみる。 記憶違いも有ると思いますがご容赦下さい。

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 まだ暗い時間でよく寝ていたが、震度2~3位の揺れで目が覚めた、枕元のラジオをつけて速報を聞く、間もなくして物凄い揺れが始まった、余りの揺れで地震だとは思わなかった。 これまでに体験した事のない凄い縦揺れ、布団を頭からかぶる。 丁度地下でトンネル工事をしていた頃だったので、工事で事故か? など頭を巡らせる、しばらくして地震だと気が付いた、「家が壊れるやめてくれー」と頭の中で叫ぶ、漸く揺れが収まった。 停電している様で、さっきつけたラジオが切れている。 恐る恐る起きて1階に置いてあるトランジスターラジオを持って、急いで階段を掛け上がり再び布団に潜り込む。 ラジオを付けると大地震が起きたと速報をやっていた。

 しばらく臨時ニュースを聞いていると、外が薄っすら明るくなって来たので、起きだして家の様子を確認する。 まだ完全に明るくなっていないので良く見えないが、屋根の瓦が物干しの屋根を突き破って落ちてきている様だ、あちらこちらの棚やら本立てが倒れで部屋中ぐしゃぐしゃだが、家自体はまともに立っている感じである。 200m程離れたところに居る両親の事が気になったので、歩いて行って見る。 途中倒れた塀の横から水が噴き出したりしている。 両親に声を掛けたら返事が返って来た、とりあえず無事では有るが、色んな物が散乱して2階から降りれないから、明るくなってからもう一度来いと言われる。 その間にも余震が何度も続くので、落ちかけの瓦とかが落ちて来ないか気にしながら歩く。

 自分の家に戻ると近所の人も起き出していて、お互い無事を確かめる。 ガス管が破裂している様で物凄くガス臭い、「火を着けるなよー」って言い合う。 幸い近所の家では倒壊した様なところは無さそうである。 家の中の片付けれる所を多少片付け、だいぶ明るくなって来たのでもう一度両親の家に行く、何とか家に入ると両親はまだ放心状態でぼーっとしていた。 とにかく手を付けれるところから片付けて行く。 お腹が空いて来たが、前日の料理(確かすき焼きだった)は鍋が埃を被って食べれそうにない。 とりあえず冷蔵庫に有った物を食べる、両親はこんな時によく食べれるなーと言いながら見ていた気がする。 両親の家の方は自分の家より被害は小さい様で、瓦とかも落ちていない。

 そうこうしていると両親の家の地域には電気が来た、近所の電気屋の前のテレビで倒壊した駅や高速道路が映し出されていた。(両親の家のテレビはどうだったか覚えていない。) 南の方を見ると煙が上がり始めた。 親戚のおばさんの家が2Km程離れたところに有るので、オートバイで様子を見に行く、そちらは我が家より更に山手なので殆ど被害は無かった様で、無事を確かめ引き返す。 自分の家の瓦が落ちているのでブルーシートを掛けないとと思い新開地方面に行って見る、幸い扉が開いていた道具屋が有ったので、営業はしていない様ではあったが頼んで売って貰う。 辺りでは電信柱が倒れたり、家が倒壊したりしていたが、自分の家が気になるのですぐに引き返した。

 家に帰って南の方を見ると煙の範囲がだんだん広がっている。 両親は駄菓子屋を営んでいたので、近所の人が何か売って欲しいと来始めた、両親は全くその気が無かったが、こんな時こそ人の助けにならないとと言って両親に店を開ける様に言う、しぶしぶ営業開始、ただ親父は全くやる気がなく、まだもう少し売れる物も有ったのに数時間後には閉店。

 風呂の残り水が有るので、とりあえずトイレとかは何とかなったが飲み水が無い、山の方に井戸のある家が有ったなと思い、水筒を持って行って分けて貰った。

 夕方空模様が変な感じなので、電気屋さんで梯子を借りて、親父に支えて貰いながら自分の家の屋根に上がってブルーシートを掛けた。 南の方の火事は更に大きく広がっている様子だった。 直線距離で1Km以上は離れていると思うが、家にも灰が飛んで来ていた。 そうこうしている内に自分の家にも電気が来た。 会社の人達も心配しているだろうなと思ったが、電話も使えないしどうしようもない。

 両親の家は普段ガス炊飯器であったので、石油ストーブでご飯炊いたのだったかな? たまたま有った電気炊飯器を使ったのだったか、よく覚えていない。 少なくともおかずは石油ストーブで作ったと思うが、何を食べたのかも覚えていない。

暗くなって高台の方に行って見ると、まだ停電しているところも多く町全体が真っ暗い、その中で南の方が一面真っ赤に燃えているのが見えた。 どうする事もできないので、自分の家に戻って早々に寝た。